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伊藤野枝

確かに、決して美人ではないが、なんて骨太で目に力のある人だろうと思ったのが第一印象。

伊藤野枝 学藝書林『伊藤野枝全集〈上〉』より

都会に憧れる少女

福岡県で生まれた野枝は7人兄弟の3番目長女。
おじさんのいる東京に憧れを持っていた野枝は、猛勉強の末、上野高等女学校へ編入。
上野高等女学校教師の辻潤に見初められ(この時点でアウトなんだが)一旦は帰省するがすぐにまた都会へと飛び出して辻潤の家に転がり込む。この時点で17歳。(しかも田舎には許嫁がおり、入籍済み)
同時期、平塚らいてうに手紙を書き、婦人月刊誌「青鞜(せいとう)」へ参加。
青鞜で社員として作家活動しつつ、18歳で長男出産。
20歳で、らいてうから青鞜を任され、発行人となる。
そのころ、夫辻潤が従妹と関係を持つ。(これ、辻潤関係の本にはあんまり出てこないの。ずるいよね)で、20歳で次男出産。

21歳で波乱万丈開始

21歳で大杉栄(これがまた山﨑育三郎に似た超イケメン)と出会うのと同時に、青鞜社の雲行きが怪しくなる。大杉さん、めっちゃイケメンなんだけど、奥さんもいたし、愛人もいるっていうとんでも野郎でね。
「自由恋愛主義」を語っちゃう自由人。
口ばかりの大杉さんに、その奥さん、青鞜の雲行き怪しい野枝さんと、愛人の神近市子(かみちかいちこ)。
まともに働いてるの、神近市子だけ。東京日日新聞の記者として働きながら女子英学塾(のちの津田塾大学)で鍛えた英語力で翻訳業をこなし、4人で生活してたってどんだけよ。
ちなみに野枝さん、大杉さんとイイ仲になって、子供二人は夫の元に置いて出てきましたからね。
現代だったら、文春砲撃ち込まれまくり、隙だらけの恋愛関係。
もちろん、明治の世でも話題になりますわ。

そして起きるべくして起きた日陰茶屋事件

大杉栄と伊藤野枝が葉山へ旅行に行ったことを知り、怒った神近市子は、二人が滞在していた日陰茶屋へ単身乗り込み、大杉栄を刺します。
刺すってどこ刺したと思う?
首よ、首。めっちゃ殺す気満々だったよね。もちろん、自分も死ぬ覚悟だったらしいけど、そんな男のために死ななくて良かったよ。だって、首刺された大杉栄、死なないし。
結局、神近市子は2年間服役。
大杉栄は奥さんからも離婚され、野枝は事実上、彼を勝ちとった。(なんだかねぇ)

ここから怒涛の○○期間

大杉を独り占めすることに成功した野枝は、
22歳長女出産
24歳次女出産
26歳三女出産
27歳四女出産
28歳三男出産
するんですよ。よく見て!ほとんど妊娠してるか、産後数ヶ月よ。
どういうこっちゃ。
てか、マタニティブルーと産後鬱で頭おかしくなりそうな状態の中、めちゃめちゃ活動してる。
文章も書いているし、講演もしてるし。
精力的、というか、生き急いでいたのでしょうか?と思わなくもない生き方だよね。

けど、現代の目で見ると、多産DVともとれる。
避妊具が無かったとしても、もうちょっと工夫することできたよね?どうなんですか、大杉さん。

最後はあっけなく。しかし尾を引いていなくなった。

関東大震災の数日後、世の中が混乱に陥っている中で、いろんな戒厳令が敷かれていたのね。
移動禁止だとか、新聞の報道禁止だとか。
その戒厳令を盾に、憲兵が、何かやらかしそうな人をこの際消そう的なことを考え、その最初の標的になったのが、大杉栄と伊藤野枝だった模様。
憲兵に捕まった二人、と言いたいのだけれど、ここには大杉栄の妹の子橘宗一くんも一緒にいたので、彼も一緒に連行されて、その日のうちに全員殺され陸軍本部の裏の井戸に投げ込まれた。

この事件が騒がれた原因の1つが、宗一くんの国籍にある。
彼は、貿易商の父親と、大杉栄の妹あやめがアメリカにいるときに産んだ子なので、アメリカ国籍なのだ。
宗一くんが行方不明になった直後、母親はアメリカ大使館に捜査依頼をしたため、国際的な問題になったことと、何の罪もない小さな子供が殺されたことで、世間からの注目度も高くなったというわけです。
これは甘粕事件として記録されているので、興味があるかたはそちら調べてみるといいのかも。

果たして彼女は幸せだったのだろうか

これさー自分が例えば彼女だったとして考えるとだね
とりあえず元夫のところに置いてきた子供二人は常々気がかりだよね。(野枝はこの子たちにたまに贈り物をしている。子供の方はかーさん嫌いだったみたいだけど。そりゃそうだ)
そしてさ、常に仕事しながら乳飲み子育てる妊婦よ。さらに家にはMAX5人子供がいてさ。
夫はいきなりフランスに行っちゃったりする。
(7ヶ月もフランス行ったあげくにフランスから国外退去処分されるって何した?)
夫がいなかった7ヶ月間は、生後半年の子、5歳、3歳、1歳児をワンオペで育てる妊婦。
将来に不安しかないんだけど。。。
それが分かった上で思うのは、ただただ、強い女性だなと。

言いたいことをまっすぐ発言し、愛する夫のことを信頼し、名づけセンスはないが子供たちのこともその教育にもある程度熱心だったのではないかと思う。
死の1か月半前に、大杉と共訳でファーブルの「科学の不思議」を刊行している。
これは明らかに自分の子供に読ませたかったからだろうなぁと思う。

最期は志半ばであったことは確かだろうけれど、今できることを精一杯生きた人なんだろうな。
密度の濃すぎる28年。
あなたは、幸せでしたよね。

ルイズその旅立ち

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